大江健三郎:信仰なき者という立場

 大江健三郎がキリスト教と出会ったのは、戦時中の九歳のことである。母親が庭を耕して収穫した小麦を村人に隠れて製粉するために、大江は森の谷川にある水車小屋に行かされた。老人が粉引きをする間、大江はそこにあった雑誌を見た。聖フランチェスコの読み物があった。

「父が亡くなり祖母も亡くなってすぐの時で、魂の問題というのはあると思っていたんです。そして、魂について本当のことを何か教えてくれる人がいたら、自分はその人について行くだろうと思ったわけです。ついて行かなければいけない、と。」このときに大江は「自分がいつか信仰を持つのじゃないか、その時は何もかも捨てなければいけないだろう、その時本当に大切なものを捨てることができるだろうか」と感じた(1)。

 聖書を読み始めたのは戦後だ。中国からの引揚者である母親の友人から貰ったのである。その後、いい文体であるという理由から新共同訳聖書(一九八七年初版)も読み、注釈が解りやすいという理由から岩波委員会訳聖書(一九九五~二〇〇二年)も愛読しているという(2)。さまざまな日本語訳聖書に親しむ姿勢は、小川国夫がエミール・ラゲ訳聖書(一九一〇年初版)の日本語を愛し、新共同訳聖書の翻訳作業に協力しつつも、全体としてはその訳文に満足を覚えなかった点と異なる。また、聖書学者の注釈に抵抗を覚えない点は、新約聖書学から激しい揺さぶりを受けた遠藤周作と異なる。遠藤は「史的イエス」問題にこだわり続けた(3)。初代教会には、受肉的でサイコフィリア(肉を愛する)なイエス理解と、グノーシス的でサイコフォビア(肉を恐れる)なイエス理解との激しい闘争があり、最終的に前者が「正統信仰」の福音書として採用された。自らの信仰が受肉的キリスト教信仰の流れから外れることを遠藤は無意識に恐れたのである(4)。しかし、大江は一九九七年にプリンストン大学で行った講演において、サイコフォビア的なキリスト教信仰の典型である「キリスト仮現説」に「きわめて高い宗教的想像力を表現してもいた」と積極的な評価を与えている(5)。以上のような、小川、遠藤との相違――自由で大胆なキリスト教理解は、いずれも大江がキリスト教信者ではないことに由来している。

 一九六三年、二十八歳の時に長男が生まれた。頭部が二つあるように見えるハンディキャップ・チャイルドであった。アメリカの小児科医ドロタール・Dは、こうした子供を持った両親の心理的反応モデルとして、①激しいショック、②事実の否定、③悲しみと怒り、④事実の承認、⑤子のために生きて行こうという再組織化、という五段階を挙げている(6)。大江夫妻にも同様の心理的経過があったと想像される。一年後、大江はこの実体験に基づいた『個人的な体験』を発表する。主人公「鳥(バード)」は、予期せぬ受難に深く苦悩し、子供の死すら願うが、最後にはこの子供を引き受けて育てて行くことを決意する。改心の場面には「突然に、かれの体の奥底で、なにかじつに堅固で巨大なものがむっくり起き上がった。」という一行があるだけである(7)。後年、作者は現実世界で自分が感じた思いを以下のように回想している。「この子供がこのまま死んでいくのだったら、自分は二十八年間生きてきたけれども、そのことにも意味がないということでした。ふたつをつなぐ論理というものはまだないんですけれども。」(8)。長男誕生の二十年後、アメリカの大学にいた大江は、宗教学者エリアーデの日記を読んでいた。そこでエリアーデは、ある科学者の「人間存在の破壊し得ないこと」の発見に言及し、「これは一種のエピファニーだ」と記していた。この言葉に触れた瞬間、あのときの自分の決心こそ「自分にとってのエピファニー」だったのだと大江は理解した(9)。「エピファニー」とは、キリスト教の文脈においては、キリスト・イエスの神性顕示に他ならない。

  長男誕生後の大江の人生と文学は、彼との共生が中心となった。長男は、五歳になっても聴覚の有無が不明だった。ある日、鳥(バード!)のテレビ番組に長男が反応したように感じた大江は、鳥の声のレコードを買ってきて、自宅で流し続けた。一年後、北軽井沢の別宅で長男を肩車して散歩していた大江は、クイナが啼いた直後に長男が「クイナです」と言うのを聞いた。幻聴かと思ったが、鳥がもう一度啼いたらいいと思った。「そのときどうしたかというと、私は祈っていたわけなんです。(原文改行)私は無信仰の者なんです。カトリックを信じない。プロテスタントも信じませんし、仏教も信じない。神道も信じていない。信じることができない。だけども祈っていた。祈ったというよりも、集中していたというほうが正しいかもしれませんけど。目の前に一本の木がありましてね。〔……〕いま自分がこの木を見て集中している、ほかのことを考えないでコンセントレートしている。このいまの一刻が、自分の人生でいちばん大切な時かもしれないぞ、と思っていたんです。」(10)もう一度クイナが啼いた。長男が「クイナ、です」と言った。感動的な体験であった。これがきっかけとなり、長男が十歳になった一九七三年に『洪水はわが魂に及び』が生まれ、二十歳になった年に『新しき人よ眼ざめよ』が生まれた。

 自らの「エピファニー」体験を大江が語ったのは、一九八七年十月、東京女子大学の宗教週間での講演である。キリスト教信徒を主たるオーディエンスとした講演であったことに留意したい。「信仰なき者」とはキリスト教信仰を自分が持たないという意味であり、この宣言によって、大江は自己の宗教的立場に「覚醒」したと思われる。

 大江は、一九七○年代、文化人類学に影響された。無意識に生きてきた「森の伝説」を学術的に再発見することで、かえって「森のフシギ」に自足することは不可能となった。それはむしろ虚構的なもの、強迫的に反復されざるを得ないもの、演技されるものに変貌してしまった。日本政府と故郷とは、「中心」と「周縁」という図式に閉じ込められてしまった。けれども、「エピファニー」体験は、文化人類学の図式的世界像を一挙に無効化した。この講演以降、大江はキリスト教を、より強く意識するようになった。

 大江には新プラトニズムに対する傾斜がある。ここではウイリアム・ブレイクへの親炙をとりあげる。大江のブレイク理解には詩人キャスリーン・レインの影響が大きい。レインは、ブレイク独自の神話体系が詩人の単なる奇想ではなく、西欧神秘主義の伝統に根ざしている事実を解明している(11)。『新しい人よ眼ざめよ』は、長男がチャイルドからアダルトへと変容する過程を、父親としての「対象喪失」という視点から描いた作品といってよい。ブレイクの詩句が地の文と交響する。両者は結晶化している。長男の子供時代を喪失した父親の悲しみ、そして彼が成人として新生する歓び、その両方をブレイクの想像力が増幅する。注目すべきは、人を「癒す」共同体としての「家族」像の提出である。

『新しき人よ眼ざめよ』の前年に、大江は『「雨の木」を聴く女たち』を発表している。作品集中「泳ぐ男―水の中の『雨の木』」は重要である。プールのサウナ室で青年を性的に挑発していた女性が、ある晩公園で暴行され殺害される。「犯人」の高校教師は鳩小屋に飛び込み縊死して事件は一件落着する。しかし彼は青年の身代わりであったようなのだ。語り手は想像する。青年はベンチに女を縛り付けたが、性交が果たせず、嘲弄した女を扼殺して呆然としている。その場に遭遇した高校教師は心に思う。「よし、それではほかならぬこの自分が恩寵をあじわわせてやろうじゃないか、この出口なしの大きい悔いのうちにいる青年に、かれがやってしまった殺人がかれにとって帳消しになるように、おれが神の役割を代行してやることにしよう。」そして女を犯して自殺する。見事なまでに奇怪な「キリストの倣び」である。この作品は、大江には珍しく、単行本化に際して初出の最終場面(「新潮」一九八二年五月号、五八頁)に加筆が施された。青年がふたたび同じ犯罪を犯すことを暗示して物語が閉じるよう変更されている。ここで大江は、人間による魂の「救済」は不可能であるという認識を提示している。「神」ではない人間は、他者の「罪」を「無化する」ことはできないのである。

『人生の親戚』(一九八九年)は、知的なハンディキャップ・チャイルドと身体的なハンディキャップ・チャイルドを持つ女性が、二人に同時に自殺されるという悲劇(「対象喪失」体験)を受容(アクセプト)していく物語である。本稿で筆者が「対象喪失」とそれに伴う「悲哀の仕事」という精神分析学の概念を援用するのは、これが生と死、精神と肉体の両方にかかわる「魂の問題」を考えるに際して差し当たり便利だからである。もとよりこれのみが魂の問題ではない。しかし、これもまた、魂の問題なのである。大江が愛用する「悲嘆(グリーフ)」という言葉自体が、英国の精神分析学者J・ボールビーが定義する「悲哀の心理過程で経験される落胆や絶望の情緒体験」の用語なのである(12)。

 さて、主人公の女性は、カトリック作家フラナリー・オコナーを研究する大学教師である。苦悩に身悶えしつつも、彼女はカトリック教会に帰依することができない。最後に彼女はメキシコに渡り、聖女のように生きて、死ぬ。信仰を持てぬ者――それはわれわれ多くの現代人である――が、「受難」からいかにして「救済」されるのか。その探求の困難を描ききった傑作である。現代では、かつて聖職者がその役割を担った「対象喪失」からの癒しを果たすことができないという認識が示されている。大江は、この作品を振り返って、自分にとってキリスト教会は船でイメージされると語った。「自分たちが難破しそうになっている場合に、助けてくれる船というイメージ」である。「同時に、そっからどうしても逃れ出したい、〔……〕それがどうも自分と信仰を持った人との関係、あるいは教会との関係らしい。その基本形を、今後も自分としては維持したいと思っている。」(13)。ここには、教会という歴史的共同体に対する孤独な神秘主義者の憧憬告白がある。

『人生の親戚』の翌年に発表された『静かな生活』の主人公は、ハンディキャップ・パーソンを兄に持つ大学生の妹である。アメリカに長期滞在することになった両親(依存対象)との別離(「対象喪失」)を受容していく過程が描かれる。物語の最後でプールの指導員の青年に暴行されそうになったときに彼女を救出するのは、彼女が保護すべき存在であったはずの兄だった。「対象喪失」の受容という主題を描くとき、大江は常に大きな文学的達成を示す。大江文学において、魂の問題は、著者が宗教をテーマに大上段に構えた「教団もの」ではなく、むしろささやかな「家族もの」でより深く追求されている。

 大江はこれらの秀作の前に、千枚の長編『懐かしい年への手紙』を書いている。主人公のメンターたる森の隠遁者でダンテの研究家「ギー兄さん」の物語。おそらく論者自身のダンテへの親しみ方が不十分であるために、『新しい人よ眼ざめよ』では成功したブレイクの詩句の物語への一体化が、この作品では上首尾に運んでいないように感じられる。四国の森で「根拠地」を築こうとした「ギー兄さん」の受難と死が主題だが、「ギー兄さん」というかけがえのない存在を失った主人公及び関係者の「対象喪失」からの「恢復」をこそ、作者は詳細に描くべきであった。それが不徹底だからこそ、『燃えあがる緑の木』三部作で「ギー兄さん」の亡霊が蘇ってしまうのだという解釈は支持され難いであろうか。

『燃えあがる緑の木』三部作(一九九三~一九九五年)の意図について、大江は一九九七年のプリンストン大学での講演で以下のように述べた。「『燃えあがる緑の木』は、日本社会の宗教団体の教理、実践にあきたらぬ若者たちが、魂の救済を求め、混交宗教(シンクレティズム)的な新しい教会を作り出す物語です。その指導者は、学生運動の革命党派の抗争でテロリズムに加わった過去を持っていました。新しく作られた教会は社会と対立し、さらには内部抗争から分裂にいたります。そして続いて起る悲劇の辛い経験から新しい出発にいたるまでを、私は描こうとしたのでした。」(14)。この大作の最大の弱点は、教団の指導者である二代目「ギー兄さん」の死という「対象喪失」による悲哀のステージを関係者がどのように段階的に乗り越えていくのかが描かれていないことである。それゆえ、最後に描かれる教団関係者の大行進も、「リジョイス(歓びを抱け)」という言葉も、「悲哀の仕事」から逃避する「躁的防衛」として空虚にしか響かない。この作品にはイエイツを初めとする夥しい外国の文学者、思想家の言葉が引用される。この作品は、知的で教養があり、自分の魂の救済だけを求める愚かな自我主義者たちの物語である。身近な他者の苦悩に真摯にかかわろうとする普通の人間を描いた「家族もの」が与える感動がこの大作にはない(15)。主要な登場人物たちは、「魂の問題」をすべて言語化(意識化)できると考えている。この作品は、日本版ニュー・エイジ運動ともいえる「精神世界」ブームの時代にあって、作家としての卓抜な着想はあったが、一人の人間としての大江自身に切実な執筆動機がなかったとしか考えられない。

  もっとも、大江が魂の問題を描ききろうと試みたことは確かだ。大江はこれを「最後の小説」にするという決意を執筆中から明らかにしていた。刊行後、大江はスピノザを読みながら「祈り」を生活の中心においた(16)。これは、九歳の時の水車小屋での決意の実行であった。すなわち、大切なもの(小説執筆)を捨てて、信仰生活、より正確には「信仰なき信仰」生活に入るということである。しかし三年後、大江は翻意した。そして『宙返り』(一九九九年)を発表した。これは、教団内部の急進派の反社会的行為を未然に防ぐために、全ては冗談だったと転向(宙返り)した指導者が、教団の再組織化に失敗して死ぬという物語である。指導者はサイコフォビアの宗教家だが、教団旧幹部は指導者の死から逃避するため、代理対象として一人の少年「ギー」を新たな指導者に仕立てる。この作品を書くことで、大江は神秘主義と新プラトニズムを生きることを断念した(17)。

 大江が魂の問題に一つの決着を付けたのは、義兄の自殺という「喪失体験」の「悲嘆(グリーフ)」から「恢復」するために『取り替え子(チェンジリング)』(二〇〇〇年)を発表した六十五歳のことである。主人公は、自殺した義兄が残した録音テープを再生して死者と対話するが、これは「悲哀の仕事」の方法の一典型といってよい。この作品によって、大江はキリスト教から解放された。ハンディキャップ・チャイルドの誕生という運命の受容から本格的に出発した大江文学における「魂の問題」の追求は、義兄の自殺という運命の受容(心からの別れ)で終結した。苦しみに満ちた「悲哀の仕事」を、キリスト教にも心理療法家にも頼ることなく、大江は「人生の習慣」である小説を書くことで果たした。  荒井献は、マルコ福音書を詳細に分析した結果、マルコは「不信のユダをその非業の死を無視してまでゆるしに徹したイエスを描こうとしたことになろう。」と述べ、信仰なき者のキリスト教的救済可能性を提示している(18)。けれども、現在の大江にとっては、神学上のこの問題はもはや関心の外にあるだろう。

「森のフシギ」もまた同じである。死んだ魂が、肉体を離脱し、自分の木の根方に宿ってふたたび再生するという新プラトニズム的な伝説。もはや大江はこれを心底から生きてはいないのではないか。ヒロシマを大きな受難、「魂の問題」としてとらえ、信仰者も無信仰者も協同して祈るべきだと呼びかける大江健三郎の現在の目に映る世界としては、イエイツの「燃えあがる緑の木」ではなく、鳥たちがつぎつぎと空から落下してダンボール箱に詰められ、木が切り倒されて棺となり、村人の死体とともに火を放たれるという山崎佳代子の詩のイメージこそ相応しいと、筆者には思われるからだ(19)。


 【註】

1 大江健三郎『人生の習慣』岩波書店、一九九二年、十一‐十二頁。

2 大江健三郎『大江健三郎 作家自身を語る』新潮社、二〇〇七年、二〇七‐二〇八頁。

3 拙論「新約聖書学の衝撃」『遠藤周作 挑発する作家』至文堂、二〇〇八年、一三五‐一四五頁   参照。

4「史的イエス」研究の重要性については、加藤圭「史的イエスの第三研究、その輪郭と妥当性― ―史的イエスの探求は不可欠な営み」(「カトリック研究」六九号、上智大学神学会、二〇〇〇  年八月、一‐二七頁)参照。

5 大江健三郎『鎖国してはならない』講談社、二〇〇一年、二三頁。

6 野田正彰『喪の途上にて――大事故遺族の悲哀の研究』岩波書店、一九九二年、七九頁。

7 大江健三郎『個人的な体験』新潮文庫、一九八一年、二四五頁。

8 大江健三郎『人生の習慣』十四‐十五頁。

9 同右、十五‐十八頁。なお、この体験の重要性を指摘した論文に、門脇佳吉「大江文学の源泉=顕現経験とは何だったのか」(「世界」岩波書店、一九九五年七月号、二四三‐二五二頁)が ある。

10 大江健三郎『あいまいな日本の私』岩波新書、一九九五年、一二九‐一三〇頁。

11 キャスリーン・レイン『ブレイクと古代』吉村正和訳、平凡社、一九八八年参照。

12 小此木啓吾『対象喪失――悲しむということ』中公新書、一九七九年、四五頁。

13 大江健三郎『あいまいな日本の私』七一‐七九頁。

14 大江健三郎『鎖国してはならない』一八頁。

15 レインはイエイツをブレイクの「最大の弟子」と見る。イエイツの神秘思想については、島津 彬郎『W・B・イエイツとオカルティズム』平河出版社、一九八五年参照。ただし、三好みゆき「イエイツの『動揺』」(『カトリックと文化――出会い・受容・変容』中央大学出版局、二〇〇八年、四一一‐四三七頁)は、イエイツとカトリック教会との対立的一般理解を再検討している。

16 大江健三郎『大江健三郎 作家自身を語る』四一九‐四二〇頁。

17 同右、二二四‐二二五頁。

18 荒井献「信なき者の救い」(『群像特別編集 大江健三郎』講談社、一九九五年四月、五八‐六 五頁)。

19 山崎佳代子『混声合唱組曲 鳥のために』音楽之友社、二〇〇〇年。山崎佳代子『薔薇、見知らぬ国』書肆山田、二○○一年参照。


*初出:『国文学 解釈と鑑賞』二〇〇九年四月 


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