高橋睦郎(1)死者と交わることの畏れと戦き

 学者は史料に即して実証的に語り、詩人は学者が言及を慎む領域までをも想像力豊かに語る。王朝文学に関する高橋睦郎氏の作物も例外ではない。後読み、深読みの重要性を著者は強調するが、詩人は自らの切実な実存的要請から学者の解釈を踏み越えるのであり、著書『百人一首』(中公新書)は、王朝の和歌を語る以上に高橋睦郎その人を語っている。

 博覧強記の詩人は、定家をカリマコスに、家隆をテオクリトスに比肩する。面白い。だが、式子内親王に関連して歴史家アンナ・コムネナが言及されることには首を傾げる向きもあろう。また、崇徳院の「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ」を「己という瀬の流れが直情すぎ性急すぎるからだろうか、世間という岩に堰かれ遮られて、激ち走る川のようなわが内心の事と志とは二つに、別れ別れを余儀なくされてしまった。しかし、これで退く私ではないぞ、かならずや行末、志と事と一つにして見せよう。たといそれが流離ののち、憤死ののちであるにしても」と読むことに膝を打って感心する読者も、俊恵法師の「よもすがら物思ふころは明けやらぬ閨のひまさへつれなかりけり」を宗教歌とも読めると言われると、本文から目を離してしばし黙考しよう。 

「恋する宮廷」という副題がある。さよう、王朝の和歌には「恋」が溢れている。無論、高橋は男女の恋情のみをそこに見るわけではない。五穀豊穣を願う呪力を核心に秘めた古典の原理としてこれを見るのだが、「恋」にあふれた世界に対する著者の微妙な視線を行間に感じるのはわたしだけではあるまい。高橋は「恋」(エロース)ならぬ「愛」(アガペー)を知る人である。王朝の恋の歌は、おしなべて等身大の男女の歌であり、たとえば、女性を通して崇高なものへと上昇していく形而上性はない。だからこそ、高橋は俊恵法師の恋歌を宗教歌とも読みたいのであり、慈円には共感しつつも、喜撰法師には「わが国の隠者とたとえばヨーロッパの中世キリスト教の隠者とは、なんと異なっていることよ。わが国の隠者が「わが庵は」ともっぱら自分のことをうたうのに対して、かの地の隠者たちはひたすら神の栄光を讃め、神の慈悲による被造物の幸福を謝する。その深い根にはまた、かの地の詩とわが国の歌との違いも厳然としてあることを見落としてはなるまい」と記さずにいられないのである。これは深読みであろうか。 

 王朝の歌人と現代の詩人が千年の時空を超えて対話するといえば美しいが、要するに死者と交わるということである。詩人の本懐かもしれないが、一歩間違えば喰い殺されてしまうであろう。高橋は古体詩二二体六〇数篇を実作し『倣古抄』として公にしているが、これは大和言葉の中に潜む死者たちの骨を囓り、彼らの魂と一体化しようとする戦慄すべきミュステリオンにほかならず、無邪気に賞讃する気にはなれないのだ。この場で採りあげるもう一冊『十二夜 闇と罪の王朝文学史』(集英社)を読むにつけ、この思いはますます募る。  

 第一章の冒頭、リルケ『時祷集』の修道僧が語る「闇」讃歌への共感が、創世記と敢えて対比的に語られ、正統的信仰から汎神論的世界への離脱、オルペウス的な冥府下りが宣言される。

『百人一首』とは違って、叙述とともに著者と作品との距離感は稀薄になり、やがて渾然一体と化す。そこでは死者が――武士が、貴族が、天皇が、そして神々が、高橋の口を借りて生き生きと語り出す趣きがある。とりわけ、最終章「もう一つの夜 王朝を弔う」の白熱した文章はディオニシス的な暗い陶酔を思わせる。『百人一首』は新聞連載をまとめた新書であったが、そこでの昼間の顔では語ることのできなかった怖ろしい言葉がここでは声低く語られる。

《王朝社会とは何だったか。天皇氏が一族支配の純粋性を保つための近親姦(近親婚)を繰り返し、その中で一人の天皇が立つために他の天皇候補者を排除するための近親殺を繰り返した社会、のち天皇氏に代わって事実上の支配権を握った藤原氏がこれに準い、さらに平家が準った社会、しかしそのことへの怖れから異族姦(異族婚)・異族殺へと動き、この二つの傾向の相克葛藤を特徴とする社会だったのではないか。そして、近親姦(近親婚)が異族姦(異族婚)に敗れたのが王朝時代の終焉だったという私見に沿っていうなら、それを内部で葬ったのが藤原定家の「百人一首」、外部で再葬し、不定期に年忌を修したのが平曲、百年という時間を経て改めて弔い、鎮魂をなしとげたのが猿楽能ということになろう。》

 本書では「受肉」「受難」「三位一体」など、高橋にとって、キリスト教が思考のテンプレートになっていることを窺わせる記述が随所に散見するのだが、神が人となり人が神となる『将門記』、聖なる女を汚す『伊勢物語』などの記述に見られる洞察の生々しさはただごとではない。とりわけ感服したのが『土佐日記』で、男女役割交替の深層を詩人の肉体の神学がみごとに解き明かしている。

 先に高橋は『読みなおし日本文学史』(岩波新書)を著し、わが国の文学史を、追放され流浪する歌の歴史として語った。これは旧詩集『私』の文学史応用編ともいうべき作物だが、そこでは、定住できず流浪する無名の存在、仮の名前の代作者として、歌人すなわち詩人が語られた。それは高橋の自画像にほかならない。

「仮の名」といえば、聖人名から「本歌どり」されたトマスという霊名こそが実は詩人の本名であり、高橋睦郎という名は流浪する地上の人生での「仮の名」に過ぎない。詩集『日本二十六聖人殉教者への連祷』でカトリックの信仰に正面から向き合った詩人の近作は『小枝を持って』という。これは旧約聖書のオリーヴをくわえた鳩のイマージュ。詩人は、大和言葉の中に潜む死者たちが、闇の中から彼を脅かし「恋」を原理とする日本的心性に絡め取ろうとしていることを熟知している。

 夜ごと甲冑と腰刀をうち鳴らして武者が詩人を訪う。「睦郎!」。荒々しい声音が響く。彼らは一門の悲劇を物語るよう詩人に命ずる。畏れと戦きのなかで十二夜にわたり絢爛たる詞章を語った盲目の詩人。最後の夜、猛り狂う死者たちに囲まれた彼が身じろぎもせず唱え続けたのは、イエスの祈りしかなかったのではあるまいか――このように記すのは、わたしの中の学者であろうか、それとも詩人であろうか。    


*初出:『現代詩手帖』2004年3月号

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