「人間」からの転落:河島英昭『イタリア・ユダヤ人の風景』を読んだ頃

 二〇〇一年九月一一日、ニューヨークの世界貿易センタービルに大型旅客機が二機激突して爆発炎上した。世界中を震撼させた同時多発テロ事件である。この直後に、世間の「空気」の変わり易さというものをひしひしと感じたのはわたしだけではあるまい。乱気流を描いて急激に変化する世間の「空気」――そこから人々を覚醒させるべき知識人の役割というものを、わたしは改めて考えさせられた。

 アメリカ合衆国のブッシュ大統領は、世界の全ての国は、われわれの側につくのか、テロリストの側につくのかの決断に迫られているという意味の言葉を述べた。二者択一を迫るこのような思考法に、いち早く疑問を呈したのは、管見の限りではカトリック作家の加賀乙彦氏であった。「ヤー」か「ナイン」かを迫る国家的言説は、政治的言語としては何時の時代にもあるありふれたものなのかもしれないが、これがドイツ第三帝国全体を支配していた言説であることをわたしは思わずにはいられない。

 アメリカ合衆国のイラク攻撃に、ドイツのシュレーダー首相は不参加を表明した。このことに関連して、ドイツの閣僚がブッシュ大統領の政策をアドルフ・ヒトラーのそれになぞらえたことを、ナチス研究で名高い宮田光雄氏が採り上げている(「政治指導者と言語」『図書』二〇〇二年一二月号)。宮田氏は、両者の比較が荒唐無稽なものではないと述べる。その上で、「断固たる口調や簡潔に言い切ってみせるスタイルが新鮮な印象を与え、大衆的人気を呼んだ」小泉純一郎首相についても同じ傾向を看取している。「圧倒的な経済力とネットワークとにもとづく少数の大放送局や大新聞が、その巨大な世界的影響力を行使して戦争と報復とを信じ込ませようと躍起になっている」と記す宮田氏は、「こうした明白なデマゴギーの横行する時代のなかで、しかし、希望がまったくないわけではない」と続け、リンカーンの言葉を引用している。すなわち「少数の人間を永遠に騙すことはできる。多数の人間を一時騙すこともできる。しかし、多数の人間を永久に騙すことはできない」。

 ナチスの時代にわれわれの眼差しを向けさせようとするのは、イタリア文学者の河島英昭氏も同じである。「図書」で連載中の「イタリア・ユダヤ人の風景」、その一二月号で、河島氏は「アルデアティーネの虐殺」を詳述している。ナチスはここの洞窟で三三五人のイタリア人とユダヤ人を殺したのだ。処刑の際、一人の年少の中尉が撃つことを拒んだ。上官であるSSの中佐は、この部下を優しく諭し、彼の腰に手を回して跪く者の前まで進み、並んで撃った。また、処刑を進めるうちに、隊員たちが次第に打ちひしがれていった。すると、先の中佐は処刑を一端中止させ、「部下を励ますために」コニャックを回しのみさせた。大方の歴史記述では省略されてしまうこうした事件の細部を、河島氏は事細かに記述している。そして河島氏は問う、「処刑を拒む者は処刑される」軍隊という組織において「上官の命令に従うかぎり、兵卒は自己の責任を回避できよう。しかし殺人を犯した瞬間に、彼は非人間へ転落するはずでもある。/このように、人間と非人間とのあいだにある、根本的な矛盾と欺瞞とを、どうすれば、兵は免れるのであろうか」と。

 ふたりの知識人の文章には、「テロとの戦い」が声高に叫ばれる現代日本の言論空間にに対する強い危機意識がうかがわれる。

 戦慄すべき同時多発テロ事件以来、しばらくの間、わたしは自分が二つの世界に引き裂かれていることを痛切に感じた。ひとつは、幼い長男と二人で絵本を夢中になって読み耽っているときの「神話的時間」(鶴見俊輔)であり、もうひとつは、殺戮が行われ続けている地上の「歴史的時間」である。一九三九年、第二次世界大戦勃発時、片山敏彦の長男治彦は三歳、長女梨枝子は二歳。片山もまた子供達と絵本を読んだことであろう。生活のなかの「神話的時間」と「歴史的時間」を、彼はどのように折り合わせていたのだろうか。もしかすると、現実世界が悲惨であればあるほど、芸術の世界が、より一層親密なものとなったのではあるまいかとわたしは想像する。なぜならば、同時多発テロ事件直後、逃げ込むようにして訪れた町田市の国際版画美術館に陳列された作品たちや、深更にひもとく画集の中の絵画たちが、これまでに経験したことのない異様な美しさで迫ってくるのをわたしは驚きとともに感じていたからである。

 片山敏彦(一八九八―一九六一)は、ロマン・ロランやリルケなど、仏独文学の翻訳者として名高い。けれども、その人間像は、いまだ充分には知られていないのではないだろうか。「たしかに人生には或るミスチックなディメンジョンがある。そこに生きる事は本当に人生を生きることであろう」と若き日の日記(一九二八年一二月九日)に記し、最晩年にも「感覚世界が/唯一の世界ではあるまい。」とノートに書き付けた(一九六一年六月一二日)この人は、何よりも神秘主義的な詩人であった。そして、何よりも理想主義者であった。

 美学者高橋巖氏は『ヨーロッパの闇と光』(イザラ書房)のなかで、若い頃に親炙した片山敏彦に触れ、次のような内容を記している。理想主義の理論的弱点を最もよく知っている者は理想主義者自身である。にもかかわらず、理想主義を主張しようとせざるを得ないとき、彼は概念的思考以外の思考を見出そうとするしかない。敏彦の場合、それは詩的ヴィジョンの営みとして見出されていた。そしてそれを支えていたのが、ヨーロッパの神智学(神秘学)的伝統に対する理解の深さであった――。  神秘学ならぬ神秘主義は、何よりも実践的な「道」の世界であるから、概念的思考が意味を失うところから出発する。それは「生きられた思想」として捉えられなければ意味がない。近代的実証主義は、研究者が研究対象と同一の精神を持つことを要求しないが、それでは神秘家の内実に迫ることはできない。だから、やはり若き日に片山敏彦に親炙したフランス文学者清水茂氏は、『地下の聖堂 詩人片山敏彦』(小沢書店)において、いわゆる客観的な作家論や作品論という研究方法を採らず、師である片山と己の魂の照応を語る手法を採用しているのである。

 わたしの目下の関心は、神秘主義的詩人片山敏彦が、危機の時代――すなわち戦争の時代に、国家権力による取り込みや、周囲の「世間」の同調圧力と、どのような姿勢で向き合ったかということである。それは現代にも通じる問題だと信ずるからだ。


*初出:『片山敏彦 夢想と戦慄』マイブックル、2013年

【附記】この文章は二〇〇二年十二月に書かれた。二〇〇三年三月、アメリカ合衆国を中心とする多国籍軍が軍事介入し、イラク戦争が始まった。ドイツ、フランスはこれに参加しなかった。  

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