ジェイムズ・メリル『ページェントの台本』(志村正雄訳)

 書肆山田から著者代送とスタンプの押された分厚い箱が届いた。中を開けると、志村正雄先生がお訳しになったジェイムズ・メリルの『ページェントの台本』上下であった。上下合わせて六九〇頁ある。スケールで測ったら厚さが六・五センチあった。

 志村正雄先生とは十七年ほど前にささやかなご縁があり知遇を得た。今回のご本の解説のなかで、志村先生は、ご自身がメリルの本を神田の古本屋で三度続けて買ったことに触れ、「私は何かメリルに縁があるのかなと思いました。世の中に偶然はないというのがメリルのユング的な考え方ですから、やはり何かツナガリがあったのでしょう。」と記しておられる。私と志村先生とも「何かツナガリがあった」のであろう。

 それ以後、ピンチョンやガートルート・スタインなど、新刊が出るごとに次々に送って下さり、こちらはぽつりぽつりと拙い書物をお送りするという具合になっている。

 さっそくお礼状をしたためねばと思ったが、考え直してお電話をおかけすることにした。ハローと出られたご家族が「ミスター・カミヤ」と取り次ぐ声が聞こえ、お元気そうな先生の声が受話器の向こうから聞こえてきた。志村先生も今年は七九歳になられるのだ。御礼を申し上げると、笑いながら、全部読まなくてもいいですよ、とおっしゃる。ガートルード・スタインのことや、文芸出版の難しい現状などについてしばらくお話して電話を切った。

 メリルは標準的なプロテスタントの家庭に生まれたということだが、志村先生は解説のなかで、この人が「多神教的で、ちょっと日本の集合型の宗教感覚に近いものをもっているのです。」と指摘し「ここまで集合宗教的なものを基盤にした文学作品はこれ以前の米国のWASPにはなかったのではないでしょうか。」と記しておられる。

 興味津々の書物である。


*初出:「神谷光信のブログ」(二〇〇八年五月二八日)